男性保育士の育児日記

男性保育士による職場での出来事や、育児に関する事を書いた日記です。1年近く育児休暇を取った時の記録もあります。イラストは妻が描いています。

親は親に為れ(長文です)

明日はいよいよお食い初め。準備の為に妻は今、台所で野菜の飾り切りに奮闘しています。

時折、「うわぁ!」とか「があぁ!」とか奇声が聞こえてきますが、娘の為に頑張ってくれている気合いの声なのでしょうね。そう思うことにしておきましょう。

 

さて、今日の日記は少し批判的な内容を含むので、気持ちの余裕の無い人は読まない事をお勧めします。

 

 

最近ニュースでありました、「ワンオペ育児をしていた母親が子ども3人を殺害してしまった」事件。

とても痛ましい事件で、他人ごとのはずですが苦しい思いになりますね。

 

SNSでもこの事件に関わる色々な意見が見られています。

「育児疲れは本当につらいものなのだ。」「夫も育児に積極的になるべきだ。」「疲れたからと言って許されることではない。」「子どもに手をかけるなんて理解できない。」「自分にも手をあげてしまいそうになった覚えがある。」などなど…。

それらの意見を見ている内に、あまり知られていないな、と感じる部分があったのでここに書いていきたいと思います。

 

子育ては尊いことですが、勿論楽しいことばかりではありません。

なんて、当たり前すぎることですよね。むしろこの世の中に、楽しいだけのことなんて存在しないのではないでしょうか。

 

大変なこともあるので、それらをサポートする仕組みや仕事というのが存在しています。

私の保育士という職や、育児休暇という仕組みはまさにその典型ですよね。

実際私も親になってみて、様々な行政や民間の支援があることに驚いています。

 

ですが様々なSNS上の意見の中に、

「何故専業主婦は保育園に預けられないのか。働いていない親も保育園に預けられるようになればいい。」

「素人の親が育児するよりも専門性を持ったプロに外注して、その分親が自由な時間を得ることで、子どもと過ごす時間は機嫌良く過ごせばいい。」

 

と、言うものが見られていて、ちょっとここに一般の人の理解と、児童福祉という考えにおける前提との間で、差異があるなと感じたのです。

 

まずは私個人の思いとしては上記の意見、一理あると思います。

 

子どもの前では笑顔でいたいですよね。でも世の中楽しいことばかりではありません。

少し子どもから離れる事でリフレッシュが出来て、子どもの前で笑顔になれるなら良い事じゃないですか。

 

実際、保育園運営に関する考え方を定めた「保育所保育指針」にも「子育て支援」という事項があり、保育園で預かる子どもの家族以外にも支援をしましょうという記載があります。

 

じゃあなんで?

 

なんで今現代でも、子どもを預けるということに対して「誰でも」「いつでも」が出来ないのでしょうか?

 

 

それは児童福祉において、大前提として「子ども目線で考える」とう考え方であるからです。

 

 

親目線で考えた時、少しの時間離れることで、子どもの前で笑顔になれるならそれは「子どもの為」になるわけですが、

 

子どもの目線で考えた時、幼い子ども(ここでは新生児や産まれて数年の子どもの事)は親から離れるという時間を自ら希望することはあるでしょうか?それは子どもが望んだ事なのでしょうか?

 

 

まず幼い子どもはそんなこと望まないですよね。

 

 

とまあ、こんな感じで「大人の目線で、大人の理屈のもとに考える」ではなく、

「子どもの目線で、子どもが希望しているであろう事を基準にする」なのです。

 

なんでこんな考え方なのかというと、赤ちゃんであろうと人間には人権があるからです。

 

そして児童福祉は、「大人の都合の良い形」ではなく、「子どもの人権を守り、子どもにとって最善となるように」が根幹なのです。

 

なので、例えば赤ちゃんからの

母親には常にそばにいて欲しい!

わがままを聞いて欲しい!

大人の理屈に沿ったら理不尽な事でもそんなの関係ねぇ!

赤ちゃんの為に尽くせ!

が叶うように色々と作られているのです。

 

なので、一つの意見としてあった「なぜ誰でも預けられないのか?」に対して、

保育園に預けられるのは、「仕事・介護とかで、頑張ってもどうしても子どもを見ることの出来ない人の子どもだけを預かりますよ!」なのです。

「子どもを見ることが出来ません!放置します!」の抑止措置なのです。

 

子どもを見る時間を持てる人は自分で見なさい!それが子どもの望みです!我々は子どもの味方です!大人はその次!

 

と、いうものなのです。

 

子どもは自分で意見することが出来ません。

弱者なのです。

大人の都合の良いように解釈されないように、守る必要があります。

 

今回の事件でも、虐待をしてしまったお母さんはとても辛かったと思います。でも、被害者になってしまった子どもは、自分の意思で道を選んでいたはずもなく、犠牲になったが故にもう声をあげることだって叶いません。

母親は弁明が出来ても,子どもがどういう思いだったかを語る機会は永遠に失われているのです。

 

誤解されたくありませんが、ワンオペ育児を良しとは全く思いません。なので育休とってますし。

でも、どんな親でも、子どもを産み育てるという選択肢をとったのは自分自身です。

自分自身で選択した生き方に、自分自身で責任を持たなくてはならないと思います。

 

もう一つの意見である「お世話の外注」については、

 

昔言われていた「3歳児神話」というものをご存知でしょうか。

子どもは3歳までは親元で育てた方が良い。という考え方ですね。

 

この意見を全肯定するわけではないのですが、実はこれ、理に叶った話ではあるのです。

 

赤ちゃんは産まれた時から、世話をしてくれる人間を通して発達をしていきます。

 

ざっくり説明しますと、赤ちゃん時期に、親から愛情たっぷりに育ててもらうことが、その後の精神的な発達に良い影響をもたらす効果があるのです。

 

勿論、保育士たちはこれを承知で働いているので、自分が見ている時は全力で愛情を注いで保育を行っています。

 

ただ、現実問題、保育士でも親には勝てないのです。これは経験を積めば積むほど痛感させられることなのですが…。

 

月曜から土曜、朝7時から夜9時まで毎日愛情たっぷりに接しても、

虐待疑いのある親にすら勝てないのです。

 

何故かは分かりません。

 

産まれた時からの時間の差なのか、共にお風呂に入って眠ることが影響しているのか。

 

わかりませんが、子どもに「お父さんお母さんと先生、どっちが好き?」と聞いて、冗談抜きで「せんせい!」と言う子は見たことがありません。

(実際そんな質問はこちらからしませんよ!話の流れや親御さんからの問いかけでそういう状況が生まれることがあるだけです)

 

なので色々な学者さんの研究結果という知識に加え、

自身の経験からも、

子どもの成長に与える親の影響力というのは絶大なものがあり、それは他者が代理出来るものでは無いと実感しているのです。

 

児童福祉的にも「どんな専門家の他人よりも親が育てた方が良い効果あるの分かってるんだから、子どもの得になるようになるべく親が見ろよ!」という所に落ち着くわけです。

 

 

子どもへの虐待はあってはならないことですし、

そうならない為に、子育てしやすい環境作りというのは絶対に必要なものだと思います。

私自身も保育士として、子どもの為、親御さんの為に働くことが自分の使命と思っています。

 

でも一方で、親は親として生き方を変えていかなくてはならないとも思います。

自由に無責任に生きるのも、一人の人間としてならば自由です。

でも親になった以上は、自分を犠牲にしてでも、子の為に尽くさないといけないことも有ると思います。

 

少なくとも、特に日本においては、おそらく多くの人たちが上の世代からそうしてもらって育って来たと思います。

 

時代毎にあるべき形は変わり、いつまでも昔のやり方でいたら上手くいかないことがあるのは当たり前です。

以前、日記でも「悪習を残すな」として書いたことがあります。

物事を時代に合った形に変えていくことは必須と思います。

 

でも、良い所は守るべきとも思います。

全てを全て、今生きる自分の人生のためだけに都合の良いように解釈するのは違うと思います。

 

良薬口に苦しってことだって当然ありますよね。

 

とっても長くなりましたが、一般の人の考え方と、専門的であるが故に伝わっていない前提の話ということで書いてみました。

 

ちょっと脱線しますが、こんな考え方の隔たりがあるからこそ、親御さんを完全にお客様扱いして全てYES、なんでもしてあげますよ〜っていう児童福祉無視したサービス業的な保育園や幼稚園って人気が出るんですよね。

 

働いている先生たちの目は死んでいきますがね…。

 

高級サービス業みたいな収入や待遇が得られるわけでもないのに、要求は厳しくなるわけですからね。

 

福祉完全無視して考えたら、需要が分かりやすい業界でもあるので確かにビジネスチャンスでもあるんですよね。参入するところが多いのも納得。やりがい搾取のブラック法人ばかりですが。

 

またこの話は別の機会にでも…。

 

長文失礼いたしました。

ここまで読んでくれて、ありがとうございます!