サンタになれた日
登場人物紹介
筆者:40歳専業主夫、元保育士
妻:働いて家庭を支える偉い人
娘ちゃん:4歳保育園児、保育園の友だちからプリキュアを教えてもらって好きになるが本編は怖いので見ない。
メリークリスマス。
子どもが生まれて4回目のクリスマスを家族で迎えることが出来ました。
その時点でめでたいですよね。
しかしうちの今年のクリスマスはこれまでとは大きく違って感じています。
何故かと言えば、娘ちゃんが4歳になり、世の中への解像度が上がっているため、ちゃんと「クリスマス」「サンタさん」を意識するようになっていたからでした。
昨年までは何のことかよくわかっていないし、別に興味もないといった様子でした。
保育園でクリスマス会を開催されてはいましたが、そこがおそらく第一印象となったのでしょうね。初めてだからなんかよく分からない内に始まって終わった、的な。
一応毎年家庭でもケーキ・飾り付け・プレゼントの3点セットは用意していましたけどね。
ただ、今年は違いました!
12月になるとすぐに保育園ではクリスマスソングを歌い始め、
製作などでもサンタさんやツリーを作ってどんどんクリスマスムードを高めてくれていました。
プレゼントに対しても、乳児の頃はプレゼントなんて何でも嬉しいし、そもそも明確な物欲などないって感じでしたが、今年はサンタさんへのリクエストカードも作りました。(まぁこれは親主導でしたが)
おかげさまで、クリスマス近くになってリクエストの商品を買おうとしたら、安く売っていた場所では早々に売り切れになっており、やむを得ず定価で売っているものを買って確保しなくてはならなかったという体験もさせて貰いました。
ちなみに希望のプレゼントはプリキュアの玩具でした。
平日昼間に一人でプリキュアコーナーで悩む中年男性の図を展開することになり、恥ずかしさがありつつも、「あ、娘を持つ世のお父さんたちは皆こういう経験をしてきたのだな。」とちょっと嬉しさもありました。
今年のクリスマスイブ・クリスマスは平日ですが、無職を活かし、ケーキの用意をし、部屋を飾り付け、ツリーを飾り、チキンを焼きという典型的なクリスマスお祝いをすることが出来ました。
クリスマス当日は朝起きたらツリーのところに玩具を用意しておき、起きた娘は寝ぼけ
ながらも希望の玩具があることに気づくと嬉しそうにしてくれていて、それを見て、あぁ、ミッションコンプリートだな…。なんて思っていました。
ようやく今年になって、クリスマスというイベントをやりきった感がありました。
変な話ですね、もう何年もしてきているのに。
私はこーゆー王道的なものが出来ないと安心できないタイプなのかもしれません。
さ、今夜の晩御飯もそれっぽいものを作ろう。
娘の体調急変で救急車を呼んだ話
先日、娘(4歳)が急に体調を崩し、救急車を呼ぶことになった話を書きたいと思います。
自己紹介
私:都内在住40歳無職の男、元保育士
娘ちゃん:4歳、病気知らずわんぱく娘
11月の平日のある日、その日は保育園をお休みして遊んでいました。
午前中は公園に行きめいっぱい遊び、お昼ご飯もよく食べて、お昼寝から起きた時です。
ちょっと顔色が違うな、と気づいた私は熱を測りました。
37.8。
あーちょっと高いな、遊びすぎてお熱がでちゃったかな。
もう今日はおうちでゆっくりしていようね。と声をかけ、娘ちゃんのリクエストのTVを観ながらお布団で横になっていました。
しばらくすると動きがなくなったので、「あ、また寝たんだな。」と思い静かにしていると、コポコポ…と変な音が。
これ自体は過去にも経験があり、「あ、吐くな。」と気づいた私はすぐにそばに寄り、嘔吐バケツを用意するとすぐに嘔吐しました。
発熱から嘔吐するパターンはよくあったので、「あーこりゃ疲れじゃなくて本格的にウイルスかなにかうつったかな~。」など、まだ落ち着いて観察をしていたのですが、
よく表情を見ると、目は開いているものの、眼球が上に行っている白目をむいたような状態になっていました。
声かけに対する反応もない。さらに体は完全に脱力しきっている。
意識が朦朧とした状態でした。
呼吸はあるものの、まだ嘔吐物が詰まっているかのような呼吸音がしている。
ぐったりする体を起こし、支えながら検温をすると38.9。
とりあえず、詰まったような呼吸を解消させないと危険と判断し、嘔吐しやすいように前傾の姿勢を取らせて様子を見ました。
その後少量ずつ嘔吐をしたものの、まだ目や顔色が変わらない。
また体を震わせ始めたため、痙攣の可能性があると思い、嘔吐物が詰まらないような姿勢を取りつつ、時間の計測を始めました。
また、嘔吐物なのか鼻水なのかが詰まっているような呼吸音が続いていたものの、一度呼吸が止まってしまうことがありました。
これはまずい!と思い、背部殴打法で思いっきりバシバシ!と叩くとなんとか呼吸が再開しました。
この時点で意識を失ってから10分以上経過していたため、救急車を呼ぶか悩みました。
まずは救急車相談ダイヤルに電話をしようと思い、7119に電話をかけました。
しかし、スマホの不具合なのかなんなのか分かりませんが、繋げられないとのエラーメッセージが表示されました。
仮に再度、呼吸が止まってしまったら、その状態からうまく回復できるとも限らない。
また、震えが痙攣だった場合、かなり長時間(10分近く)続いていることから急性脳炎や髄膜炎の可能性もあると思い、もう思い切って119に電話することにしました。
電話するとすぐに繋がったものの、なんか少し雑音が入り通信状態が不安定な感じでした。
状態・いつからか・何歳の子供か・体重は何キロか・家の場所はどこかなどを伝え、一度切りました。
その間も、意識は戻らず、相変わらず不安定な呼吸音がしていたので、安全な体位を取らせて横にしたあと、財布や着替えなどの道具を用意しました。
通報から15分後くらいに電話がかかってきて、住所の確認、近くの建物の確認、状態の再確認などを聞かれた後、「今行ける病院を探しています。もうしばらく待っててください。」と言われました。
娘ちゃんの異変に気付いた時間は夕方の16時半頃。
通報したのが16:45頃。
救急車が家に到着したのは通報からおよそ45分程経った、17時半頃でした。
救急車が着く直前に、寝返りのような動きをし、目が元に戻り、意識が回復しました。
ただ、まだ受け答えなどが出来ない様子。そのまま救急車に乗り込みました。
救急隊員の方々はとても丁寧に状態の確認や、持ち物などを確認してくれました。
帰宅ラッシュで道路が混みあう時間でしたが、15分程で病院にも着きました。
救急車の車内では、うつろは表情の娘ちゃんを安心させようと、なるべく普通の声かけをするようにしていました。
病院に着くと、救急対応をしてくれるお医者さんの元に通され、検温や心拍の確認など
を行った後、インフルエンザ・コロナの検査を行いました。
お医者さんの注目ポイントも、髄膜炎・脳炎か熱性けいれんか。というところだったようで、体の震えについて何度も確認をされましたし、時間なども繰り返し確認をされました。
私自身、保育士として熱性けいれんは見たことがあったので、それとは様子が違ったとは思いつつ、正確に状況を伝えるようにしました。
また、お医者さんは娘に話しかけてちゃんと応答が出来ているか、ということも確認していましたが、急な状況だったためか、娘はうなずくことしか出来ず、判断に困っている様子でした。
検査結果を待つのも含め、30分程経過を診ます。と伝えられ、待っている内に、
私と娘との会話が成立したこと、
インフルエンザ陽性の診断結果が出た事からか、
「おそらく急な発熱による、熱性けいれんだと思います。」との診断となりました。
ただし「まだ髄膜炎や脳炎の可能性もあるので、けいれん止めを処方します。今から24時間は注意深く観察してもらい、再度けいれんが起きたらまた救急を呼んでください。」と言われました。
ようやくホッとした心地でした。
しかし相当慌てていたためか、持ったと思った保険証を持っておらず、実費支払いとなったため「救急車のお世話にもなったし、いったいいくらかかるんだ…!」とドキドキしましたが、1万6千円くらいで済み、なんとか手持ちもあったので事無きを得ました。
その後は、けいれん止めを決まった時間に処方するために、深夜に座薬を入れるなんてことはありつつも、大きく体調を崩すことなく、無事に快復に向かってくれました。
しかし、本当に肝を冷やしました。
お昼までは元気そのものだった状態からの急変、呼吸が止まるという命の危険。
また、予想以上に救急車の到着まで時間がかかったことも恐怖でした。
7119が機能しなかったのも慌てました。格安スマホのネットワークの脆弱性なんかも原因なのかなぁと思いました。
結果としてはインフルエンザでしたが、通報の判断を下せた自分よくやったと思いましたし、自分が元保育士で、救急対応の知識と経験があって良かったと思いました。
仕事中だった妻からも「あなたが家にいる時で本当に良かった。私だったら慌てて何も出来なかったかも。」と言われました。
命に関わるか否かの判断基準として、呼吸が出来ているかどうか、は大きいです。
私のこの経験が他の誰かのお子さんの命を救うことになれば幸いです。
退職して三カ月経過 変化まとめ
もう令和7年、2025年もあと13日ですね。
メンタルの不調から8月に保育士を辞める決意をし、
9月、10月と有休消化ですごし、11月1日をもって無職となりました。
退職一カ月経過まではちょこちょこ書いていましたが、思うところあり、しばらく書かずにいました。久しぶりの更新ということで、心境や環境の変化などをまとめておきたいと思います。
一か月経過時点のことは日記として書いていましたが、さらにそこから数カ月経ちますと、また心境にも変化が生まれるものですね。改めて振り返りたいと思います。
◆8月末日で実務終了。有休消化に入った9月から10月まで
社会人としては待ちに待った長い休みの期間の始まり。
でも全然ワクワク感などは無く、とにかく喪失感と今後への不安感が大きかったように思います。
とりあえず、休みに入ったらしてみたかったことなどを実行するものの、今一つ気持ちは乗らず、ひたすら鬱や適応障害、休職している人の体験談や復帰方法などを調べ漁っていました。自分の体調不良はどうしたら治るのか、いつまで休めばいいのかということが常に頭を占めて、ソワソワしていましたね。
◆まだ有休消化中の10月~11月
家にいる生活のルーティンが固まってきて、やや気持ちに落ち着きを持てるようになっていました。
9月中はとにかく貯金が減っていくのが恐ろしくてお金を使うことを極端に控えていましたが、10月くらいからは「まだ給与は入るし、気持ちを上向きにするための支出は必要経費」と思えるようになり、ちょこちょこ楽しみを持てるようになってきました。
一番よく行っていたのは公園まで散歩して、ベンチで読書することでしたけどね。
一番気持ちが晴れる瞬間は何かと考え続けた結果、ずっと続けている趣味のバスケットボールをすることが一番のリフレッシュになると感じ、行う頻度を増したところ、かなり精神が安定するようになりました。
ただいよいよ有休期間が終わることで、健康保険や年金などお金が多く出ていくことにかなり不安が増した時期でもありました。
◆正式に無職となった11月から12月
健康保険や年金などの諸々の手続きが無事に終わり、ある意味漠然と抱え続けていた支出面での不安が明確になったおかげか、精神的にはより安定してきました。
ただ、季節的なものもあるのか、不眠が悪化するとともに、せっかくバスケットをすることがリフレッシュになったところでケガが続き、さらに子どものインフルエンザからの感染など、とにかく体調を崩しまくった月でした。
また、ふとした時に保育士時代の嫌な思い出がフラッシュバックすることが増え、当時はそんなに気にしていなかったような出来事が、今になって凄く嫌な思いに感じるようになっており、恐らく無意識に我慢をし続けていたからなのだろうなと思います。
動機や抑うつ状態といった症状はほとんど無くなってきたものの、まだ寛解には至っていないのだなと実感していました。
無職ではあるものの、ハローワークへの手続きが始まり、申請手続きや提出締め切りなど、むしろやることが明確になって安心につながりました。
◆12月~現在
これまであまり触れてこなかったお金周りの情報に関心が沸き、NISAやら節約やら資産形成やらとそういった情報を収集するようになりました。
ケガもとりあえず癒え、週に1~3回くらいのバスケットも楽しみながら生活できるようになっています。
天職だと思っていた保育士が、辛い思い出になってしまったことから、これからはどう生きていけばいいのか、ずっと自問自答しています。
幸いなことに支えてくれる妻がいますので、とりあえずトライ&エラーのつもりで色々なやりたかったことを挑戦していこうかと思っています。
以前読んだ本に
「人生100年時代に生きる君たちは、40代くらいで学び直しの機会を持つことで、これまでの経験だけで勝負するのではなく、新たな武器をもって自分自身の価値を高めていく必要がある。」
という内容があったことが思い出されています。
昔ながらの日本人的なキャリア形成で言えば、働き盛りである40代に無職になるということは、致命的な落伍者の烙印を押されることのように思えますが、
これまでの経験は決して無駄ではないということが、今後の人生で証明できればいいなあと思っています。
この数か月間は無理に心情を表現したり、考えすぎない方が良いかと思ってブログ更新を控えていましたが、そろそろ育児ブログとしても復帰していきたいと思っています。